文久年間(1862〜3)当郷の儒者,川内彦左衛門は,後進者誘導の目的を持って,東佐多浦高岡2614番地の自宅において,師弟10数名を集めて漢字を授けた。
更に,元治元年(1864年)鹿児島の士,伊集院周八は,吉田・郡山二郷の地頭となったとき,当郷の組頭川田彦兵衛,牛込信兵衛,深見仁左衛門等と図って,共有金をもって建坪12坪の民家を買い受け,これを西佐多浦興化寺56番地に移転して,復生館と名付け,学舎にした。川内彦左衛門を召還して師に任じ,次に,鹿児島の士,加藤権兵衛,隈元伊之助の両氏を招き,漢・書・算・剣道の4教科を置き,子弟50余名を教養した。これが本校の起源である。
〔復生館設立の精神〕
人間(ひと)は善さを求める
人は練磨によりて仁(ひと)となる