南林寺町
「南林寺町」の由来等
松原町の由来にもあるように、島津家15代守護職貴久が建てた南林寺は、島津家の菩提寺になっていた「福昌寺」の末寺でしが、福昌寺にも劣らないくらい立派な寺で周りに多くの墓がありました。寺の周りは大変賑わっていましが、寺の境内は静かな所であったそうでうす。明治2年、南林寺も他の寺と同じように壊されてしまいまたが、墓地だけはそのまま残され「南林寺墓地」と呼ばれまた。大正8年、新しい都市計画ができ、南林寺墓地は方々に移されました。いま南林寺近くに残っている「月照の墓」やすぐれた働きをした人々の墓は、南林寺墓地から移したものです。この町の名前は「南林寺」からとったもので、墓地のあとに新しく町をつくてから「南林寺町」が生まれました。
※7 稲荷神社
全国に4万もある稲荷神社の一つです。
※8 月照の墓
月照は,京都清水寺の住職で,幕末の勤皇僧でした。当時の幕府から追われたため,西郷隆盛とともに鹿児島に逃れてきましたが,鹿児島も安全ではなかったので,西郷と一緒に錦江湾に飛び込みました。西郷は助かりましたが,月照はそのとき亡くなりました。
その月照を偲んで,南林寺にまつってあります。
※9 南林寺ゆいしょ墓
明治2年,南林寺をこわした後,このあたりはお墓になりました。その後,町が広がり,大正8年にはそのお墓もこわされました。そのとき残った”武将,学者,医師”などの墓43基を集めたものだそうです。
※10 塩釜神社
むかしこのあたりは塩をつくる塩田だったそうです。
塩業を営む村人の守り神として,この塩釜神社はつくられたそうです。
※11 がんがら橋