鹿児島女子高等学校


玉里島津邸

玉里邸の変遷

玉里邸は,薩摩藩第27代の藩主島津斉興によって天保6年 (1835年) に造営されたものである。 明治10年の西南戦争の兵火にかかり,建物は焼失し,灯篭などが破損したが,上御庭の一部と下御庭は現存している。

建造物のなかで現存する茶室,武家長屋・長屋門は,島津久光が明治12年 (1879年) に再建したものである。 庭園は,江戸時代末期の造園形式で,書院の上御庭と廻遊式庭園 (下御庭) からなり,このような形式の庭園は本県では他になく貴重である。


1835年 (天保6) 島津27代斉興,玉里の地に別邸造営。
1850年 (嘉永3) 背後の山上に,愛宕神社を創建。
1851年 (嘉永4) 斉興隠居,斉彬 (島津28代) 襲封。
1855年 (安政2) 斉興,玉里邸に隠棲。
1859年 (安政6) 斉興,玉里邸で死去 (69歳)。養女勝姫の邸となる。

1875年 (明治8) 勝姫の死後,家職だけで管理。
1877年 (明治10) 西南戦争で兵火に罹り,玉里邸焼失。鶴丸城の二の丸久光邸 (山下邸) も焼失。久光しばらく二月田へ。久光,玉里邸に移転するために,玉里邸再築にかかる。
1878年 (明治11) 久光,子女と共に玉里の新居に移る。
1879年 (明治12) 上棟式が行われる。
1887年 (明治20) 久光,玉里邸で死去 (71歳)。国葬で福昌寺墓地に葬られる。
1888年 (明治21) 忠済,家督相続。邸に居住する。
1890年 (明治23) 忠済,東京移住後。別邸となる。
1915年 (大正4) 忠済死去。忠承,家督相続。

1940年 (昭和15) 忠済婦人田鶴子,東京から玉里へ引き揚げる。
1945年 (昭和20) 太平洋戦争の戦火に罹り,邸宅焼失。茶室,武家長屋,長屋門だけが残る。
1951年 (昭和26) 鹿児島市が 1,000万円,5ヶ年賦で買収。
1959年 (昭和34) 鹿児島女子高等学校この地に移転。校地面積 21,782 m2
1974年 (昭和49) 茶室,庭園が鹿児島市指定文化財となる。

玉里邸地図

以下の地図上の青い文字をクリックしますと、各遺物・遺蹟の詳しい説明をご覧になれます。


黒門 国葬道路 石敢当 鶴の池 (下御庭) 茶室 キリシタン灯篭 日時計 亀の池 (上御庭) 長屋門 武家長屋 武家長屋 玉里邸地図