校区の概要
1 位置
鹿児島の南部下福元町と平川町にまたがっており,市役所谷山支所より約5q,鹿児島中央駅より15q(列車で約20分)の所に位置している。また,校区を国道225号線,226号線が縦断している。
2 面積
約12平方キロメートルで,旧谷山市(昭和42年合併)のおよそ8分の1を占めている。しかし,南に伸びる鹿児島市の都市計画の一環として,1号用地の埋め立てが完成し,これを加えると18平方キロメートルの広さになる。校区に16の町内会がある。
3 概況
・かつては,農漁村として栄えていたが,今では専業農家はほとんどない。大半が会社員や自営業・公務員などであり,校区全体が住宅化している。
・南に伸びる鹿児島市の実状そのままに,広大な農耕地が次々に住宅化し,新しい居住者が増加している。また,平川動物園の開設と共に人々の往来も一段と賑やかになってきた。
4 名勝・史跡
・草野貝塚
下福元町草野地域にある。終戦後土地の人々が開墾した折,多量の貝塚や土器の破片が出土し,その後,研究者の手によって発掘が行われ,縄文時代後期の貝塚であることが確認された。
その貝塚からは市来土器・指宿土器等のほかに磨製石斧や貝類(はまぐり・ばい・あこや貝等)・しか・いのししの骨など多種多様なものが発掘され,県考古学会に貴重な研究資料を提出した。なお,20年前,この付近を住宅地造成工事が行われた際,貝がらや土器等が数多く出土し,この貝塚の大きさが改めて見直された。また,この草野周辺の光山地域や五位野地域・古屋敷地域・芝野地域・影原地域にも縄文・弥生式の遺跡が確認されている。
・須々原遺跡
川辺町に接する海抜300〜400mのなだらかな丘陵地にある須々原遺跡で,終戦後,開拓中に土器破片と石器が発見された。これらは,調査の結果弥生時代のものと確認された。
・清泉寺跡遺跡
下福元町草野地域の障子川の川口にある。
三国名称図絵によると,「川辺郡宝福寺の末寺で曹洞宗である。本尊は阿弥陀像(座像で約2.5m)で,これは百済の日罹の作で,いつ開山したか年代はわからない」とある。中興の開山は応永年間(1400年頃)に覚和尚の手によって再興されたと言われる。以来明治2年の廃仏毀釈にいたるまで多くの信徒による信仰が厚かったといわれている。しかし,今では昔日の面影は無く,ただ古い石垣と歴代住職の墓石・阿弥陀像等が残存しているばかりである。また,通称「大和さあ」といわれる島津大和守久章(1645年没)の墓もある。
この清泉寺を特徴づけているのは,上記阿弥陀像を始め数体の磨岩仏群と,数十個の五輪塔である。

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